こりや聞所お石様

 

―恋女房染分手綱―

 
 
 
定之進切腹の段
 
平成十二年四月公演評を参照されたい。
 

 
沓掛村の段

し悪しの、身は世に連れて与之助の、乳母が在所は沓掛村、草鞋取りの一平もり巡りて親里へ、戻り馬の八蔵と、変はる渡世も口強き、勢道中を一跨げ、稼ぐ足さへ繋がれし、母の病ひに働きやめ、馬の沓打ち草鞋も、仕事のつまみ銭、煙も立たぬ貧家の軒、の日過ぎとぞ見えにける。
八蔵藁を打ちさして、
之助さん、門にぢやないか。母者人に薬進ぜて下されぬか。与之助さん、与之助さん。ハア、又何処やら飛ばれたさうな」
と、欠け土瓶引提げ、反古張りの障子を開け、
「母者人、石薬師の医者殿に合はして買うた膈の薬、一番が上がつたがどふぢや飲ましやれぬか。母者人、母者人、アヽこれはしたり、まだ寝てかいの。もふ昼過ぎたがなんぞ食ふ気はないか。したが、俺も今朝から精出して漸々と草鞋五足、エヽこれでは水も飲まれぬ」
と、つぶやく折から
ならぬ、打飼腰にひん巻いて、縄暖簾頭で押し開け、
「八蔵内にか」
「オヽこれはマアマア米屋殿、ようごんしたの」
「イヤ、俺は悪う来たわいの。コレ、麦一斗代四百五十、晩の明日のと言ふて何日になるぞ。今日はしやり無理銭受け取る」
と、上がり口に達磨催促。
「オヽ尤もぢや尤もぢや。が、ちとこつちが間違うて」
「アヽコレコレ、その間違いは先途から」
「サヽヽ道理ぢや道理ぢや。この事を母者人に聞かしとむない。声を低う、低う」
低うのも時、
坂の下の古手屋、布風呂敷を肩に引掛け、つかつかと内に入り、
「コレ八蔵殿、銀と引き替えの約束で、新しい小裁の布子、売つた代が八匁七分、何時おこすのぢやぞいの。コレ、まだその上に、死んだ子のぢやないかと小言言ひ廻つて、銀は来世銀にするのか。見ればこゝな子が、売つた布子を着て、馬事して遊んでゐる。銀が今日埒あかねば、あの布子を剥いで去ぬる。銀渡すか、布子剥がうか、どうぢやいどうぢやい、どうぢやいどうぢやいどうぢやい」
「成程々々、その銀も遅うて明日か明後日迄」
「アヽコレコレ、イヤモウ、その紺屋の口上措いて下され。今日ならずば是非がない、布子剥がう」
と立つを
引き止め、
「アヽコレ、それはあんまり胴欲」
「エヽ胴欲、胴欲とは何がい、何がい何がい何がい何がい」
ればいの。あの子が俺が子なれば、剥がさつしやろがどふさつしやろが構はねど、歴々の侍衆から預かつて、藁の上から母者人が育て、今でも父御や母御に逢はしやつても、あんな姿をさしておくかと思はれてはと、ならぬ中から新しい布子の一つも着せるのは、コリヤコレ浮世の義理。それをこなたに剥がれては、母者人が生きてはようゐられまい。さつきにからこゝなも、米の銀催促してなれど、よう遣らぬ。それといふも、母者人が命に限りのある膈病ひ。見捨てゝ働きには出られず、貯へのある顔で介抱するも、病人に苦をかけまいため。その日過ぎの馬追ひ、一日働かねばそれ程足らぬ貧乏世帯なれど、俺さへ働きに出れば一銭も損はかけぬ。コレ、術ない所を聞き分けて料簡して待つて下され、ヤ、ヤ。それともに聞き分けなくば、あの子の布子の代りに俺が、コ、コヽヽこのどてらを売つて、分けて取つて下され」
と、かつぽくに似ぬ正直者、涙ぐめば
人の掛乞、おろおろ涙、
「テサテこなたは、荒い商売に似合はぬ孝行者ぢやの。あの心を聞くからは、まだこの上に麦の五升や三升は、只遣りませうぞ。ノウ古手屋さん」
「オヽさうでござるとも。子供の襦袢が古手に出たらば遣りませう。おいらも子を持つてゐるが、今の哀れな話を聞いては、イヤもうもうもうたんまらぬ」
と、つて変たる掛乞共、世に鬼はなかりける。
「フム、それならば料簡して待つて下さるぢやまで。アヽ忝ない忝ない。さう結構に言ふて下さるので、一時も早うこの銀が済ましたい」
と、ぶ声に
母親は、よろよろと立ち出で、
「二人ながら八蔵が難儀を聞き分けて待つて下さるは、後生にもなりませう」
「オヽヽヽさうぢやとも。見ればお袋も、もふ五十ばかりさうなが、良い子を持たしやつて幸せ」
「ハイ、荒くましい者なれど正直な生まれつき。それなればこそ俺が病ひを苦にして、働きにも出ませぬ。殊にわしは百日と限りのある命なれば、んだ後でも八蔵を不憫がつて下され」
と、幾つになつても子を思ふ、親の心ぞ有り難き。
の方へのさのさと、馬方の治郎作、
「八蔵内にゐるかい。今日は道者が多うて人が足らぬが、亀山まで追はんかい。行く気なら親方の所に馬も拵へてあるが、どうぢやいどうぢやいどうぢやい」
「イヤモ、母者人が煩うてなればよう行くまいわい。親方が腹立てぬ様に言ふてくれ」
「イヤコレ八蔵、俺も一寸で死にはせぬ。親方に事欠かさぬ様に、銭儲けの事ぢや、往ておぢやいの。ノウ、掛乞衆もさうぢやないか」
「オヽそれがようござるとも。働きに行くのも病人の気休め」
「ム、そんなら治郎作行かうわい。どうぞ道でよい替へがあれば良いが。母者人往て来ませう。コレ、こなたが好きのまびき雑炊煮て置いた。餅も買うてあるぞや。つひ往て来ます。二人ながら後でゆるりと、茶でも飲んで話さしやれ」
「アヽイヤイヤ、おいらも道まで連れ立たう。お袋も随分養生さつしやれや、さらば」
「さらば」
と掛乞共、銭は取らいで板程な涙、こぼして立ち帰る。
「アヽ結構な掛乞衆。これも八蔵が孝行にしてくれる故、病み煩ひの力となる。オ、ほんに我が子のことよりこの与之助さんは、何処に遊んでゐやしやるやら。さつきにから顔見ぬ」
と、そろそろ立つて表の方、見やれば
不憫や之助は、まだ頑是なき五つ子の、いつもの如く竹馬に、しやんと跨がり、
「はいしどうどう、お馬が通る。先退け先退け」
と、舌も廻らぬいたいけ盛り、
「乳母戻つた戻つた」
と、打盤盥も踏み立て蹴立て、庭の内をば乗り廻す。
養ひ和子には目の見えぬ、乳母はよろよろ立ち寄つて、
ヽ戻らしやつたか。今朝から寝て逢ひませなんだ。コレ乳母は気合ひが悪し、兄は馬追ひに行く。引き廻す者もなければ、我が儘に悪あがきして怪我さしやんな。ヽこれ見やしやれ。漸々買うて着せたこの布子、この様に鉤裂き、兄が見たらば叱りましよ。ちと家で遊ばしやれ」
「イヤイヤ家で遊ぶより外で馬事が面白い。乳母も引いてみやいの」
と、手綱を取つて引き廻し、遊びに余念なかりける。
「オヽ胤が胤ぢやによつて馬事が面白からう。こゝへござれ」
と手を取つて、
「町人の子と違ひ馬に乗るを面白いとは、アヽさすが、伊達の与作様といふ御物頭の御子程ある。コレ大きうなつて侍になり、父御の跡を継がしやれや」
「乳母、俺や侍は嫌ぢや嫌ぢや。八蔵の様に短い煙管をくはへ、紋のある腹当てして、馬が追うて歩きたい。乳母、俺が名を今からは三吉と付けてたも。コレ、この様に」
と口綱取り、
「三吉乗つたか乗つたか、ハイシイどうどう、エヽあたつぽこしもない、ほてつぱらめ」
と子心に見るを見真似の、馬方詞。
母は『ワツ』と泣き出だし、
「エヽそんな事俺や見たうない」
と、涙と共に引き寄せて、与之助が顔打ち守り、
「ほんに、お歴々の胤なれども、藁の上から賤しい乳母が手塩に掛けて育てた故。良い事は見習はず、馬子になつて馬が追ひたとは、情けない事ようもようも言はしやるのう。父御や母御に何とそれで逢はされう。コレ、坊の父様はの、歴としたお侍、母様は重の井様とて御大名のお腰元、腹も満更賤しうない。能太夫定之進様の娘御なれば、必ず今から馬追ふ真似やなどして下さるな、ヤ、ヤ・コレ、この迷子の札と一緒に付けてある守りには、父様や母様の氏素姓、御名も詳しう書いてある。乳母は明日をも知れぬ命、俺が死んだ後でも、この守りを印に、子御巡り逢はしやれ。愛しや生まれさしやつてから、一年経つや経たぬ間に、二親に生き別れ、如何に頑是がなければとて、父御や母御は何処にやら、どんな顔やら夢にも知らず、小さい時からこの乳母を、父様とも母様とも、思ふてゐさしやる心根が、愛しいわいの」
と咽せ返り、口説き立てゝぞ泣きゐたる。
頑是無けれど与之助も、泣顔をじろじろ見て、
母よ泣くな。泣くないやい泣くないやい。俺も悲しうなるわいやい」
と、膝にもたれてさめざめと、嘆き沈むぞいぢらしき。
「オヽ乳母が泣くので悲しいか悲しいか。コレおりやもう泣かぬ泣かぬ。コレ涙はない」
と、押拭ひ、
「今日はこなたの誕生日と、生まれさしやつた鳥羽の祭り。八蔵に餅も買はしておいた。祝ふてまいれ」
と、きな粉小豆を取交ぜて、上座へ据えれば、
嬉し気に、
「乳母、餅を喰ふのかや」
と、喜ぶ顔をつれづれと、
「これが伊達の惣領子の祝ひかや。世が世ならお乳めのとが花を飾り、祝儀の儀式あるべきに、欠け盆に欠け茶碗、餅ならたつた五つ六つ。野末の小屋の非人にも、劣りたるこの有様」
と、悔み涙に伏沈み後も、知らず泣ゐたる。
つの日脚傾けば、八蔵はいつきせき、に上る田舎座頭、空尻に打ち乗せ、門口に馬引き付け、
「コレ座頭殿、俺が家はもふこゝぢや」
「エヽ、もふこゝかな。アヽヤレヤレ嬉しや嬉しや。乗りつけぬ馬に乗つたれば、アヽ尻が痛い。草履下され」
「ホイ、合点ぢや」
と抱き下ろし。
「母者人、戻りました。心持ちはどの様なの」
「オヽ早かつた早かつた。今日は俺も気色が良い。茶も湧いてる。飯食やらぬか」
「イヤイヤ、今日は亀山まで追はずばなるまい。戻りは定めて夜が更けうと、家の事を案じたに、幸せと関でよい替えがあつて、こゝなコレ座頭殿を乗せて来ました。サア、サヽ座頭殿、上がつて休ましやれ休ましやれ。母者人、今日はこゝな座頭殿に胡麻の蠅が付きをつて、官銀をせしめるを、俺が馬に乗り替えさしやつて幸せ。今夜はこゝに泊まらしやれば、指差さす事ぢやないて。コレ座頭殿、その代りには旅籠屋と違うて、こちらが食ふ物を進ぜるぞや。蒲団もなければ火鉢に火を入れて進ぜう。たつた一夜さぢや、辛抱して寝やつしやれ」
と、をフヽ吹き起こして持ち運べば。
「イヤモ、何も構うて下さるな。目界の見えぬ者は、世話が多くての毒なイヒヽヽヽヽ。アヽそこにござるはお袋さうなが、これの息子殿はよい気な馬方。わしも京へ官に上るに、今日石薬師から悪者に付けられたを、馬子殿のお陰で、あまの命を拾ひました。がこゝへ来て、気が落ち着きました、イヒヽヽヽ」
「オヽそりや道理、もふ日も暮れた。休ましやれ」
「エヽ、もふ暮れましたか。ヽ秋の日は短いなあ。ドリヤ、そろそろと寝拵え」
と、探り廻つて立ち上がれば、
「これ和子、ソレ手を引いて進ぜさつしやれ。こなたも俺も相伴に、ござれ寝よう」
と打ち連れて、戸の内へ入りにける。
蔵は表に出で、荷鞍を取つて馬引き入れ、
「これから俺が息休め」
と、ひきがらの火の煙草盆引き寄せてすつぱすぱ、
「フム、テどうがな」
と小首傾け、つつおいつの一分別。きつく胸も、鐘の音も、早や初夜過ぎる戌亥窓。覗けば母も泊まり人も、すやすや鼾『首尾よし』と、子をそつと閉め開けに、取り出だすは、巻柄の大脇差、すらりと抜いて火影に寄せ、見れば錆びたる乱れ焼き。
「エヽ、これではいかぬ」
と庭の砥石を引提げ来て、欠くる刀は切々として、石皆なる秋の夜の、虫の音ならぬ石の音。
は夜冴えに目も合はず、『刃物を研ぐは心得ず』と、そつと起き出で差し覗けば、
座頭の慶政聞き耳立て、『わが身の大事』と、帯引き締め、窺ひゐるとも
白刃の刃、らめくばかりに研ぎすまし、『仕済ましたり』と鞘に納め、尻ひつからげ、立ち上がる。
納戸の障子さつと開け、
「八蔵、コリヤ何するぞ」
と声掛けられて吃驚し、
、母者人。未だ寝ずか」
「オヽわが脇差研ぐ音でなんの寝られう。ふ事がある、下にゐよ下にゐよハテマア下にゐやいやい。コリヤヤイ、如何に貧苦に迫ればとて人を殺して、サ、人を殺して金取らうとする、恐ろしい気には何時の間になつたのぢや」
「アヽコレ母者人、この八蔵が誰を殺して金取ろぞ。跡形もない事言はしやんないの」
「コリヤ、知るまいと思ふか、知るまいと思ふかやい。今夜泊まつた座頭殿、金のある事聞いた故、そちや殺、サア殺す気であらうがな」
「こりや又益体もない。様々の事言はしやるわいの」
「サ、それなれば、夜夜中脇差を何のために研いだのぢや」
「ヤ、それは」
「それはとはそれはとは、見下げ果てた心ぢや」
と腹立ち涙せき上げせき上げ、痰火は胸に塞がりて、苦しむ母の
背撫で下ろし。
ヽ成程、折悪き泊まり人故、疑はしやるも尤もなれども、日頃俺がいがまぬ気は知つてゐやしやる母者人。チエヽ、貧乏すれば親にまで、疑はれるが俺や無念な無念な、無念なわいの。コレ、人を殺して金取る気なら、四年が間この馬方はせぬわいの。知つての通り、与作様の勘当も皆八平次が業。何とぞ彼奴を尋ね出し、奪ひ取られた三百両の代り、八平次が首与作様へ見せねば、この八蔵が主人へ立たぬ。今日八平次が坂の下にゐる事を聞き出した故、今夜野伏せりの非人共を詮議して、それでも知れずば、坂の下の家々を踏込んで探す合点。この事こなたに知らしては、ソヽヽヽソレその病ひの上に、苦をかけるが悲しさに。、隠したは俺が悪かつた悪かつた。コレ、疑ひ晴らして下され」
と立つを引き止め、
「フム、さう言へば尤もらしい。そんなら今夜八平次を尋ねに行くか。向うは武士なればそち一人は苦にもせまいが、万一そちに過ちあらば、死にかゝつてゐる母親は見捨てられもせうがな、与作様御夫婦から預かつた与之助様、誰が養育して進ぜるぞ。八平次を尋ねるはそちが面晴れ、あの子を養育するはな、与作様へ御奉公。同じ事なら母が往生を見届け、与之助様を親御達へ渡した上、八平次を尋ぬるとて、遅うはあるまい」
「サア、それはそうなれども、彼奴がこの辺にゐるこそ幸ひ」
「さればやい。それが幸ひであらうやらあるまいやら、そりや知れぬ。コリヤそちが心一つでな、あの子も俺も手を引きあふて人の門に立たうも知れぬぞよ。そこの所を聞き分けて、今夜行くのは待つてくれ」
と、わつゝ口説いつ繰り返し、涙ながらに止むれば。
「ハテモ、それ程に言はしやる事ならば、ム、今夜はマア行きますまいわい」
「オヽ合点がいたか、それなら嬉しい。コリヤ、俺もこの世に長うは居ぬぞよ。そう思ふて悲しい目を、必ず見せてたもんな」
と、は涙に暮れゐたる。
戸の内をごそごそと、探り足して慶政は、勝手に出で、
「何やら親子ぼつぼつと夜と共の話が耳に入ると、蚤がせゝり出して寝入られず。鐘を聞けば早七つ、もふそろそろと立ちませう」
「テサテ、今日のに懲りもせいで、夜深に立つは要らぬもの。それともに急がしやるなら、夜の明ける迄送つて進じよ」
「アヽいやいや、夜道が結句用心がよいげな。今日はいかい世話。これは少しなれど今夜の宿賃、また下りにも頼んます。お袋、さらば」
と這ひ下りて、杖で探つて戸を開き、をとぼとぼ急ぎ行
ンニマア、大胆な座頭殿。したがわが身と俺が話を聞いて、君が悪さに夜深に立つのであらうぞや」
「ハヽヽ、なんのさうでもござるまい。ム、母者人も往て寝やしやれ」
「わが身も火の用心よう見て寝や」
「オヽ、合点」
と納戸の火鉢引提げ出で、潜り閉めんと庭に、折りから。
の戸を、ぐわらぐわらと引き開けて、ずつと這入る二人連れ、
「誰ぢやい」
「いや、大事ない者ぢや」
と頭巾取つたる顔見れば
昼の剥共、八蔵を引き挟み、両腕をしつかと取れば、
「エヽこりやなんとする」
「ヤア抜かすまい。今日関の松原で官に上る盲目めを仕事仕掛けておいたのに、われが邪魔をひろいでよい鳥を飛ばしたわい」
「オヽそればかりぢやない。己れが馬に乗る者は邪魔をして働かせぬ。今日の座頭の官銀も大方己れがぬつぺりと、一人良い目に合うたぢやあらう。今からはおいらが仲間、サヽヽヽヽサア分け口取らう分け口取らう、分け口取らう」
と高強請。
「ハヽヽヽヽ、大掏摸共が抜かしたり。うぬらが心に引き当て、追ひ剥ぎしさうな八蔵と見たか。今日の座頭もうぬらが付け回すによつて、夜通しに京へ上した。ごたくばるな」
と取られし肘をぐつと引き寄せ、身をかい沈み、右へどつさり左へころりと、もんどり打たせば。
彼奴らもたまらず、ずはと抜いて斬りかくる、
「心得たり」
と有り合う火鉢追取つて、丁ど受くればばつばつと、辺りへ散つて掏摸共が眼も鼻も灰だらけ、火鉢の底よりどつさりと、
「落ちたは金ぢや、コリヤ見たか。今日の座頭の官金も己れが取つたに極まつた。こつちへおこせ」
と飛び掛かる、
二人の掏摸が首筋掴んで引き上げ引き上げ、畳で胴突きどうどうどう
「サア、取らるゝなら取つてみよ。動いたらうぬぶち放す」
と言ふに掏摸共、吠え面かき、
ヽヽヽ八蔵どん、許して下され許して下され許して下され。モヽヽこなたが乗せた旅人に重ねてから手を指すまい。命があつての追ひ剥ぎ」
と転けつまろびつ、二人の掏摸共はうはう逃げて、立ち帰る。
母は一間をよろぼひ出で、
「ヤレ怪我はなかつたか。ちやつと表を鎖してたもちやつと表を鎖してたも」
「アヽ気遣ひしやんな。あいつらに弱みを見せては、この街道が働かれぬ。さて、不思議なは母者人、火鉢の中に三包みのこの小判、何時から灰に埋もれてあつたぞ。不思議々々々」
と取り上げて、見れば金子の上包みに、
「『官金三百両』、フ、フヽヽ『勢州桑名の城下慶政』とあるからは、今夜の座頭が火鉢の中へ取り落としたに極まつた」
「ヤレヤレそれは愛しい事ぢや。したが待ちやや。それ程大枚の金を置き忘れ様がない。これには訳があるわいの」
「アヽ母者人、なんのいの。こりや確かに忘れたのぢや。今頃は思ひ出してさぞ吃驚。したが、俺が手に渡つて仕合せ。オヽツト、坂の下へはまだ行くまい。ぼつ付いて金渡そ」
「オヽそれはいかい後生。一走り往てやりや」
「オヽ合点」
と一腰ぼつ込み門口へ、ずつと出づれば
以前の掏摸共、
「遣らぬ」
と掛かるを袈裟に、つさり、ばつさり、
「コレ八蔵八蔵、今のは、ナヽヽ何の音ぢやや」
「アヽイヤ、なんでもない。母者人、よう留守さしやれ」
と一散に、後を慕ふて

 

 
 
クラ、「沓掛村」とは宿駅に縁のある名、街道の賑わいをふまえた軽快な語り出し。
 「り巡りて」で一旦ヘタって、主筋没落して馬方となった八蔵を描く。
 「勢道中を一跨げ」から再び元の運びとなるが、
 「仕事のつまみ銭」が本フシで、義太夫浄瑠璃本来の、しんみりと物寂しく沈んだ抒情を表現。
 「の日過ぎとぞ見えにけり」のフシ落で、この貧しくも慎ましい一家と一段の雰囲気を押さえる。

・「之助さん、門にぢやないか」から八蔵の詞で性根が大切だが、ここは強すぎてはいけない。
 まずは孝行者として登場する。

・「ならぬ」から掛乞の米屋登場で変化、早足かつ滑稽味も含ませる。
 が、拘らずにサラサラと(もちろん、掛乞人は金に拘るが、語りが科白劇に堕してはならないということ)。
 「も時」からの古手屋の出以下も同様。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「ればいの」以下、八蔵の述懐が言い訳でなく「正直者」の真実として衷心衷情響くかどうか、肝心なところ。
 
 
 
 
 
 
 

・「人の掛乞、おろおろ涙」
 「つて変たる掛乞共」深刻ぶらず軽く面白味もある。
 「世に鬼はなかりける」で観客の胸にも暖かい灯がともるかどうか、まずは三業の腕の見せ所第一である。
 
 
 

・「ぶ声に母親は」のカワリから母親の登場、貧苦、盲目、死病。
 しかし暗鬱には聞こえないはずだ。
 
 

・「んだ後でも」の母の泣き声は、自らの死を嘆くものではなく、後に残る八蔵を気遣うためである。

・「の方へのさのさと」でカワッテ馬方の出、粗野かつ乱暴な強さも含む。
 
 
 
 
 
 
 
 

・「板程な涙」が写実的な三味線と語りで、滑稽かつ人情味もある掛乞衆退場のヲクリとなる。
 

・「之助は」から五歳児の登場、床も無邪気かつ調子に乗って描く。
 
 
 
 

・「ヽ戻らしやつたか」からは乳母としての詞で、自然にやや高く元気な声(微妙だが)の応対となる。

・「ヽこれ見やしやれ。漸々買うて着せたこの布子」驚きは明瞭。
 貧苦の中、八蔵ともども、主筋の養い子を大切にする義理を思っての詞である。
 
 
 
 
 
 
 

・「母は『ワツ』と泣き出だし」からの述懐。
 頑是無い与之助を育てるが故の悲しみ(もちろん自分へのではなく、与之助そして主筋の父母に対してである)は深い。
 
 
 
 

・「子御巡り逢はしやれ」が太夫の音で語る魅力的なカカリで、以下クドキとなる。
 
 
 

・「母よ泣くな」は幼い与之助の心にも悲しみが共鳴するから。
 「源氏物語」『若紫』にも、雀の子に興じる幼女紫の上が、やはり祖母尼君の悲哀に嘆く涙に、自らも悲しくなる場面がある。
 この感性、ともに出生が卑しからざることを表している。
 年老いた乳母と幼い養い子の心の交流が聞く者見る者に涙を催させるところ。
 
 
 

・前述の乳母のクドキ以下、
 「後も、知らず泣ゐたる」までの愁嘆が前半のヤマ場である。

・「つの日脚傾けば」から気を変えて、以後の主役座頭の慶政登場。
 「に上る田舎座頭」を高く調子を外し気味にして、座頭独特の表現。
 「の毒なイヒヽヽヽ」のひきつった笑いなども。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「をフヽ吹き起こして」効果音を写実に語る。段切、灰の中から官金を取り出すところも同断。
 
 

・「ヽ秋の日は短いなあ」慶政の述懐がわずかに感じられるかもしれない。あからさまは×。

・「戸の」しんみりとしたヲクリ。夜も更けて寝に行く。

・「蔵は表に出で」大きく強く、恐しいまでの描出。
 「つつおいつの一分別」でキメる性根が大切。

・「きつく胸も」以下ノリ間で、三味線の手も多く派手に面白くなる。

・「子をそつと閉め開けに」三味線ともに写実的な効果音で表現。

・「巻柄の大脇差」以下は、夜の火影に刀が研がれて光を見せるまで、恐怖心を催させる描写。
 観客もドキドキとして床に耳を手摺に目を釘付けにされるはず。
 「石皆なる秋の夜の」下コハリは、不気味さの表現技巧。
 「虫の音ならぬ」「石の音」この間の三味線の合がすばらしい。
 確かに虫の音に聞こえてから、それが砥石で刃物を研ぐ音だと気付く。

・「は夜冴えに目も合はず」「座頭の慶政聞き耳立て」それぞれの不審・恐怖感を活写。

・「らめくばかりに研ぎすまし」から急速調。

・「、母者人。未だ寝ずか」どぎまぎと正真正銘の驚き。
 さあ、八蔵の真意はいかに、と観客も引き付けられる。

・「ふ事がある、下にゐよ」以下、母の叱責と嘆きは正直一遍、ナキの手とともに直道に迫る。
 
 
 

・「ヽ成程」から八蔵の忠義と正直一途、母への愛が存分に感じられる詞。
 「、隠したは俺が悪かつた」など、母子の情愛の表現が絶妙。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「は涙に暮れゐたる」が文弥落シで母親愁嘆の極となって、落着する。

・「戸の内をごそごそと」カワッテ慶政の出、剽軽な描出で深刻さの解消。
 「をとぼとぼ急ぎ行く」まで軽妙な描き方だが、
 「行くウ……」の産字、ここだけで慶政の覚悟、思いを残しての旅立ちが暗示される。
 事の真実が判明するのは次段「坂の下」においてである。

・「ンニマア、大胆な座頭殿」以下、何の屈託もない母子の会話に戻る。
 

・「の戸を、ぐわらぐわらと引き開けて」二人の追剥は軽薄に。
 八蔵が二人を片付けるところは痛快。
 段切も近く、サラリと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・「ヽヽヽ八蔵どん、許して下され」「はうはう逃げて、立ち帰る」、絶妙な写実表現。
 性懲りもない、卑俗で薄っぺらい愚かな人種である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・段切、人の掏摸を片付けるところに、
 八蔵の大胆不敵さ(「アヽイヤ、なんでもない」人形はマユの動きで)と、
 母の気遣いを聞かせて、三重。

 

(参考:住・勝太郎)

 
 
 
 
 
坂の下の段
 
平成十二年四月公演評を参照されたい。
 

 
道中双六の段
 
平成十二年四月公演評を参照されたい。
 

 
の井子別れの段

興にぞ入り給ふ。
側の衆にはやされてな心の姫君。
「かう面白い東とは今までおれは知らなんだ。サアサア行かうはや行かう」
「ヤアござらうと仰っしやるか。そりゃ目出たいわ目出たいわ又もや御意の変らぬ間に、行例揃へ」
と立騒ぐ。
お乳の人は勇みをなし、
「そんなら今一度大殿様お袋様とお盃。これも馬方殿お蔭ぢゃ。出かいた出かいたそちには礼いふ褒美やる。そこに待ちゃや」
と、ざゞめき渡り奥にお伴し入りにけり
馬方はつひに見ぬ金の間をうそうそと、覗き廻れど筵のほか、踏みも習はぬ備後表。
エヽこの座敷はぎゃうに滑って歩かれぬ。大名の家よりも、こっちの内が結構でござる」
と、り言してゐたりけり
乳の人は大高に、菓子さまざま文匣に盛入れ、
ドレドレ三吉そこにか。マアマアそちは健者ぢゃ。道中双六お目にかけそれゆゑに姫君様、お江戸へござろと御意なさるゝ。お上にもご機嫌これは御前のお菓子ありがたう頂きや。お銭三筋買ひたい物買やゝ。殊にそちは通しぢゃげな。道中すがらも用あらば、お乳の人の重の井に逢はうと云や。れば見るほどよい子ぢゃに馬方させる親の身はマよくよくであらう」
と、いと懇ろの詞の末
三吉つくづく聞きすまし、
由留木殿の御内、お乳の人の重の井様とはお前かんならおれが母様」
と抱きつけば
「ア、こは慮外な。おのれが母様とは、馬方の子は持たぬ
と、もぎ放せば
むしゃぶりつき、
退くれば
縋りつき、
なんのないことを申しませう。わしが親はお前の昔の連合ひ、この御家中にて番頭、伊達の与作。その子は私こな様の腹から出た、与之助はわしぢゃわいな。父様は殿様のお気に違うて、国をお出なされたは小さい時で覚えねど、沓掛の乳母が話には、母様も離別とやらで、殿様に御奉公。こなたを乳母が養育し、父様に逢はせたう思へども、斐もない、母様の細工の守り袋を証拠に、由留木殿のお乳の人、重の井様と尋ねよ、とろに教へて乳母はおれが五つの年、久しう痰を煩うて鳥羽の祭の餅が咽に詰ったやら、つひ死んでのけました。乳母が子の一平は父様を尋ねに行く、在所の衆が養うて、やうやう馬を追ひ習ひ、今は近江の石部の馬借に奉公しまする。コレ、守り袋を見やしゃんせ。なんの嘘を申しませう。お前の子に紛れはない。ほかの望みはなんにもない。父様を尋ね出し、日なりとも三人、一所にゐて下され。見事沓も打ちまする。この草鞋もわしが作った。昼は馬を追うて夜は沓打ち鞋作り。様母様養ひませう。父様と一つにゐて下され。拝みまする母様」
と、り付き抱き付き、泣きゐたり
乳ははっと気も乱れ、
「見れば見るほどわが子の与之助。守り袋も覚えあり、びついて懐に抱き入れたく気は急けども、ッア大事の御奉公養ひ君のお名の疵、偽って叱らうかイヤ可愛げにさうもなるまい。マアちょっと抱きたい。アヽどうせう」
と、百千色の憂き涙。二つの目には、保ちかねむせび、沈みてゐたりしが
「イヤイヤわが子ながらも賢しい者。偽って誠とせず、母を心の汚い者と、蔑しまるゝも情なし。訳を語って合点させ恥しめて帰さんもの」
と、涙拭うて気を鎮め、
「こゝへ来い与之助」
と、引寄せて両手を取り、
「【ても大きうなりゃつたの。とても成人せうならば、侍らしうなぜ尋常にも育たぬぞ。顔の道具手足まで】、母はかうは産みつけぬ。美しい黒髪をこのやうに剃りさげて、手足は山のこけ猿ぢゃ。ほんに氏より育ちぞ」
と、さめざめと泣きけるが
コレ物をよう合点しや。腹から産んだは産んだれども、今では子でも母でもない。浅ましうなりさがったを嫌うて云ふではさらさらない。こゝの訳をよう聞きゃや。母は元御前様の奉公人。与作殿は奥家老の御子息。互ひに若木の恋風にれつ縺れつ一夜が二夜と度重なり、そなたを懐胎この事お上へ聞えては、父も母も御成敗に合ふゆゑに、病気と偽り、乳母が所で産み落し、育てゝ貰ふその内に、情なや八平次といふ者の仕業にて、父様は御追放。この母が悋気から、不義の事顕はれ、既に御成敗に極まりしを、わしがためには父様、そなたのためには、祖父様の定之進様、体ない、わしに代つての御切腹。お姫様の乳離れといひ立て殿様の御慈悲にて、姫君のお乳の人首尾さへよければそなたも今、奥家老の御子息。二番と下座に下らぬ人。その時母も一所に退けば尤も夫婦の道は立てども、身にあまったお家の御恩。誰がいつの世に報ぜん。残って御恩を報じてくれと、父様のことわりゆゑ、第一は男のため、夫婦の義理を忠義に代へて、かぬ離別を、したわいのの子は稚なうても、御勘気の末気遣ひな】。与作が子とばし云やんなや。【サア早う御門へ出やヽいかなる因果な生れ性。現在わが子に馬追ひさせ、男の行方も知らぬ身が、母は衣裳を着飾って、お乳の人よお局よと、玉の輿に乗ったとて、これがなにゝること」
声を、忍びに泣くばかり
は生れつき賢くて聞分けあるほどなほ泣き入り、
「悲しい話を聞きましたさりながら、常に乳母が申したは、姫君様と私とは乳兄弟のことなれば、母様にさへ逢うたらば父様も出世なさるゝ由、御訴訟なされ下されかし」
と云へばちゃっと口を押へ、
「アヽ勿体ない。の乳兄弟云はぬこと。姫君様は関東へ養子嫁御にお下り。高いも低いも姫御前は大事のもの。先は他人の世間体。三吉といふ馬追ひが乳兄弟にあるなどと、どう妨げにならうやら、蟻の穴から堤も崩れる。軽いやうでも重いことひそひそ云うて人も聞く。まづ早う出てくれ」
と泣く泣く云へば
三吉、
アヽ母様。あんまり遠慮過ぎました。まづ云うて見て下され
「まだ云ひをるか聞き分けない。夫のことわが子のこと母に如才があるものか。合点の悪い聞き分けない」
と、制する内に
奥よりも、
お乳の人はどこにぞ。御前から召します
と呼ばゝれば、
「アレ聞きゃ人が来る出てたも」
と、を取って引出す。
憫や三吉しくしく涙。頬冠りして目を隠し、沓見まつべて腰につけ、見すぼらしげな後影。
リヤま一度こちら向きゃ、山川で怪我しやんな。雨風雪降り夜道には、腹が痛いと作病おこし、二日も三日も休んで、煩はぬやうにしてたも。毒な物喰はずに下痢や痲疹の用心しや。可愛の形やいたいたしや。千三百石の代取がんの罰ぞ咎めぞ」
と、台の壇箱に身を投げ、伏して歎きしが、懐中のありあふ一歩十三袱紗に包み、
「これ嗜みに持ってゐや」
と、涙ながらに渡さるゝ。
三吉見返り恨めしげに、
でも子でもないならば、病まうと死なうといらぬお構ひ。その一歩も入らぬ。馬方こそすれ、伊達の与作が惣領ぢゃ。母様でもない他人に金貰ふ筈がない。エヽ胴慾な。様覚えてゐさしゃれ」
と、わっと泣き出すその有様。
母は魂消え入って、
「養ひ君お家の御恩思はずはさて、一人子を手放してなんのやらうぞ。奉公の身の、ましや」
え、焦れて歎きける
に奥ロざゞめいて
「はや御立ち」
と姫君の、御輿かき上げ行列立て、お乳の人の乗物を、ひら付けにこそかき寄せけれ
お乳はさあらぬ顔付して
「姫君のお伽に、最前の馬方をこの乗物に引付け、お慰みに唄はしゃ」
った」
と宰領ども。
コリャそこな自然生め。唄ひをらう」
とぎごつなく。
ヤアこいつは吠へをるか
「なんぢゃこりゃいまいましい」
と、握り拳を二つ三つ、
頂きながら泣声に、
は照る照る、鈴鹿はくもる。土山間の間の、土山、雨が、降る。」
降る雨よりも親子の涙なかに、しぐるゝ、雨やどり。
 

 

・「和風」の一段。 「大和地」のノリ間が魅力的だがこれほど音遣いの難しい一段もない。
 『音曲の司』の真髄、義太夫浄瑠璃面白味の極。 太夫・三味線の不即不離も絶妙。
 “魔法の絨毯に乗って、地上から少し浮いたところを微妙に上下しながら行く感じ。”
 「恋十」も、ただ母子の情愛に涙するだけなら、セリフ劇でも芝居でもお話でも可能。
 「大和風」のうっとりする面白味がもたらされなければ、義太夫浄瑠璃としては未だし。 
 …が、これを言語で表現するのは至難の業、よって、次の表示を手掛かりにして、一段の構成を掴んでいただきたい。
 【  】で囲んだ部分だけが詞。詞が少ないことがわかる。
 「フシ」―下降旋律で詞章ならびに曲節が一段落する―の部分を太字

・「側の衆にはやされて」から間の詰開き、絶妙な音遣いがたまらない。太夫・三味線の会話!
 「オ・ソ・バ・ノ・シュ・ウ・ニ・ハ・ヤ・サ・レ・テ」これは常間。まるで面白くない。ベルトコンベアーで運ばれるようなもの。
 「オソバノォーシュニィハヤァサレテ」これに音遣いと三味線のあしらいが加って、魔法の絨毯への搭乗となるのである。

・「な心の姫君」、家老、「お乳の人」、そして「馬方」と変化あり。

・「り言してゐたりけりイイ…インニ」三ツユリ。情感が広がる。

・「乳の人は大高に」低い音で位あり、荘重な感じ。

・「菓子」=「おくわし」である。「懐胎」(くわいたい)「関東」(くわんとう)。

・「れば」低く強く表現し、見つめる描写。

・「んならおれが母様」早足になるが、「ア、こは慮外な」で格を持って拒絶。

・「退くれば」高く優美に、「縋りつき」が色(地から詞への移行)で三吉。面白い。

・「斐もない」悲しみが底にあり、涙を含む。このあたりでもう聞く方は情味が胸一杯になってくる。

・「ろに教へて…」は地色で、直前「父様は殿様の…」・直後「やうやう馬を追ひ習ひ…」以下の地のノリ間はない。
 三味線の手も少ない。旋律的な度合は、フシ>地>地色>色>詞。
 (ただ、私個人のレベルでは、地と地色の聞き分けは、正直簡単ではない。)

・「日なりとも三人(チンチン)、一所にゐて下され」たまらない。聞く者は早涙ぐむであろう。

・「鞋作り」見事に音を遣って語る。
 チンチンと受けて「様母様」と高音で琴線に触れられ、もういけない。

・「り付き抱き付き、泣きゐたり」スヱテ。愁嘆の極み、一の音まで下がる旋律で、ジャンと締める。

・「乳は」低く強く、「守り袋も覚えあり」まで胸中で確認する趣。
 「びついて」から早足になるが、
 「ッア大事の御奉公」と思い止まり、以下母の苦しい心情。

・「ても大きうなりゃつたの」しんみりと万感の思いあり。以下のセリフは当然非難ではない。

・「さめざめと泣きけるが」三ツユリ。

・「れつ縺れつ」若き恋の思い、床の絶妙な表現。

・「体ない、わしに代つての御切腹」一杯。

・「かぬ離別を、したわいの」哀しみがしっとりと美しく表現される。

・「の子は稚なうても、御勘気の末気遣ひな」ひっそりと心を配る詞。
 実は、この詞がすべてなのである。与作の子と判明すれば、命の保証はないのだ。

・「ヽいかなる因果な」「ることと」上(カン)の高音へ至り、思いが高調する。

・「は生れつき賢くて」以下、足取りが早くなる。
 「の乳兄弟」まで慌てて、
 「云はぬこと」で落ち着く。

・「を取って引出す」厳しい描写。

・「(チンチン)憫や三吉(チチチン)しくしく涙」以下、悲哀の極。
 「リヤま一度こちら向きゃ」と声を掛けるのは必定。

・「んの罰ぞ咎めぞ」堪えられず激しく強く、
 「台の壇箱に」高くクル。
 
 

・「でも子でもないならば」からの三吉の詞、健気なり。評言も不要。ただただ聞き入るのみ。

・「様覚えてゐさしゃれ」以下早足、急速調となり、この一段の最高潮へ。
 「ましや」高くクリアゲ、
 「え、焦れて歎きける」文弥落シで愁嘆の極、カタルシス。

・「に奥ロざゞめいて」から段切、足早にかつ格を保って。
 
 

・「『った』と」卑俗な「宰領ども」の登場は、終曲の情感を対照的に引き立てる。
 
 
 
 

・「は照る照る」馬子唄。床と手摺、そして客席が一体となる、涙。
 
 
 

(参考:越路・喜左衛門)

 

※なお、「双蝶々曲輪日記」については、公演評(平七秋平十二秋)、ならびに、「引窓論」を参照いただきたい。