人形浄瑠璃 平成廿四年四月公演(初日、入替二日目所見)  

第一部

『加賀見山旧錦絵』
「又助住家」
 「筑摩川」を出さないのは上演時間が足りないからだが、半通しという形に似せているからでもある。プログラムの解説を見ると、ちゃんとお家騒動でまとめてある。とはいえ、もともと別の作品を合体させたものであり、原点回帰派からするととんでもないことと非難もされよう。だが、現在の上演を考える際に、遡及可能という点からも範とすべき明治期において、両作は鏡山物としてまとめられ上演を重ね練られているので、むしろ評価してもいいだろう。その場合、「又助住家」を丸坊主で頭に付けておく今回のやり方は、やはり問題となる。それは、お家騒動としての大歯車が感じられず、個人としての小歯車にのみ焦点が当たる結果、半通しの形が逆に中途半端になり、「筑摩川」とともに別建てした方がすっきりと胸に納まるのである。今回の建て方が制作側試行錯誤の一端であるのなら、次回以降の資となればそれでよいのだが、昼夜二部制の時間合わせのために何も考えず詰め合わせただけとも感じられる。
 補助金削除という形で蒸気船が迫っている今日、惰性的な狂言建てという眠りから覚めて、国立劇場開場時の通し狂言を原則とする方針の意義と意味を、はっきりさせないといけないだろう。ちなみに、文楽が大阪庶民の芸能だと事ある毎に強調してきた者たちもまた、その大阪庶民が選んだ結果が補助金削除だという事実を、自らへ突き付けられたものとして厳粛に捉えなければなるまい。補助金削除撤回の署名も、文化人を対象に集めても何にもならない。いわば、庶民の芸能を文化的権威でメッキするに過ぎないからである。そのような行為は、補助金削除を撤回させるどころか、ますます現市長の姿勢を硬化させるだけであろう。署名活動は、梅田駅なりなんば駅なりの街頭で大阪市民を対象に展開すべきである。三業の技芸員はその間、当然のこととして自らの芸を極める修行に邁進することだ。もしその署名が思ったように集まらなければ、それは庶民が無知だからなどとは仮にも庶民の芸能を名乗る側が言えるはずもあるまい。その時こそ、本気かつ全力で種々の取り組みがなされることになろう。とはいえ、次のことは記憶しておいた方がいい。明治維新の時、旧体制側とレッテルを貼られたものがことごとく破却せられた事実を。そしてまた、人形浄瑠璃はそのような維新に関係なく、むし近代の全盛期を迎えたことも。
 さて、この段は三下り唄をマクラにするという端場としてよくある形から入る。この唄はほとんどが庶民の作業唄で、そこにはまた男女の恋情が盛り込まれている。その歴史は古く万葉集所収東歌(例:多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき)にも見出される。というよりは、人間とは労働をする生き物であり、かつ男女の性別があるという普遍的な事実に基づくものであるのだ。それに続いて、鳥井又助の妻子が登場し、貧しいながらも健気に明るく生きる姿が描写される。つまり、「筑摩川」を出さないと、この端場は暗さもなく悲劇性をも予知させない場面として始まることになるわけである。しかも、村の歩きとのやりとりがユーモアを含むものであるから、この印象は確たるものになる。そこへ女房のクドキが来る。その次がまた三枚目首の廓亭主登場となるから、きっちりと愁嘆を聞かせておかなければ、端場としての役割を果たしたことにはならない。もちろん、節付も文弥など抒情味溢れかつ心地よく三味線の手数も多い旋律でまとめられている。時代が下るので、義太夫節を聞き慣れた耳には派手に嬉しく響いてもくる。それを三味線の清友が見事に弾き、咲甫も美しく聞かせ、しかもしんみりと哀感を伴っていたのは、中堅陣としての地歩を固めた実力の程をうかがわせた。ただし、最後の売られていく場面は作としてステレオタイプであることもあり、平板さから抜けきれなかったのは仕方ないところか。なお、チャリから愁嘆またその逆のカワリは初日不十分と感じたが、入替後は改善されて軽妙さも増していたのは、実力伸長者の証拠であろう。
 この「又助住家」が大阪で上演されるのは約十年ぶりだが、それ以前には昭和も51年の朝日座まで遡ることになる。ということは、この曲の良さが再認識されてきたということか。もちろんそこには、女忠臣蔵の方が五年に一度の割で上演されるようになったという大きな理由がある。それはまた後述するとして、主人への忠節が真逆となりしかもそれはまんまと嵌められたもので、我が子の首を刎ねた上に自ら死を選び妻も後を追うという、どうにもやりきれない暗澹たる悲劇が、定期的な上演形態として定着したことに重要な意味がある。それは、人形浄瑠璃として面白く義太夫節として愉しいということだ。すなわち、かつての人気曲であった麓太夫風にふたたび日が当たるようになったという喜びである。「尼ヶ崎」は別格として、「正清本城」「駒木山城中」なども、明治大正・戦前と戦後で線を引き、さらに近年とで比較してみると、上演断絶の危機が回避されるレベルには達したと見てよいだろう。「竹中砦」も綱師の素浄瑠璃で蘇っているし、人形浄瑠璃義太夫節中興の祖と言ってよい麓太夫が浮かび上がっているのは、文楽を取り巻く現状を考える時、注目して考察してみる価値があるように思われる。杉山其日庵もまとまって何か書いていたように記憶するし、補完計画で取り上げることになるかもしれない。
 この一段、評言を記すとなるとどうしても三代清六と古靱による録音を念頭に置かなければならない。これにとどめを刺すと言ってよいほどの奏演であることは、実際発売されているCDを聞いて(購入するには高価なら公共図書館等で)いただければわかるだろうし、渡辺保氏の著書(絶版で入手不可なら同前)にも具体的な記載がある。このコンビというよりも師弟関係による録音は、「合邦」「堀川」が絶品として上げられている。確かに三世清六の三味線は筆舌に尽くしがたいが、古靱が雁字搦めで義太夫節の面白さ=聴覚の快楽というものが影を潜めてしまっている。その点、「又助住家」や「勘平腹切」などは、窮屈というよりもピッタリと三味線に嵌り、空前絶後の仕上がりになっている。しかも、古靱の力量が前面に出ているところもあり、この一段で言うならば、又助の詞での発語「なるほど」「ハヽア」や「ホイ」などで、その心情が浮かび上がるというもので、何度聞いても飽きないばかりか、その都度ハッとさせられるところがあるという、まさしく唯一無二の傑作なのである。(「勘平腹切」については補完計画参照
 それを、古靱直系の咲大夫が燕三の三味線で勤めるのだが、どうしても比較をしてしまうし、聞き劣りを感じてしまうのも仕方のないところである。しかし、劇場の人形入りでライヴを視聴するとなると、デッド(いかにすぐれたものであっても)とは異なるわけで、そこにも期待して椅子に座った。第一印象はよく語りよく弾いているである。女房が再登場してからの愁嘆悲哀、親子夫婦の情愛がよく伝わったのは、三段目切場の初日からの成功、すなわち紋下格実力の証であった。「くわ」「ぐわ」音も正しく伝承しているのは、先代綱大夫が就任するはずだった紋下を、半世紀経て正当に継承する資格を有するということでもある。それでも不満が残るのは前述の理由と人形の動きにぎくしゃくしたところがあったから。そして二度目に聞いた時、更なる深みへと表現が及んでいることに感嘆していると、場内から拍手が鳴り響いた。人形の出入りに対してではない、又助の述懐が高調するところである。ここで手が鳴るためには、それまでの又助の心情が丹念に描出されていなければならない。端場からヲクリで女房身売りの愁嘆が胸に迫り、打って変わって家老の登場による又助の喜び、それが大殿の死により虚無感となり、続いて殺害犯の嫌疑に驚くや、謀略に乗せられた怒りと無念と諦念、そしてすべてをこの場で引き受ける決心をしての偽悪の言動、それはすなわち自らと息子の死を覚悟した壮絶なもの。さらに、家老の庄司がすべてを見通し言葉をかけ、忠臣が逆臣になってしまった宿命を、観客とともに再認識する。しかし主人の求馬は思い違いかと無情の反応をし(この人物造形は「伊賀越」和田志津馬と共通するものがある)、悲哀はより深くなる。ここまでがきっちり語り込まれて、人形の動きとも合致した舞台となり、客席とも一体化していた。その後の妻子への情愛は初日で既に語れていたから、現状において、ここまでの出来に至るのは咲大夫を置いて他にないと、満足出来たのである。 相三味線の燕三はほんとうに良き女房役である。
 人形陣、初日はどれも一通り遣えていたが、心理が伝わるほどには至っていなかった。又助は型が出来ていても心情が伴わず、女房はなめらかな動きだが床の出来がそのまま反映するレベルで、庄司はすべてを見通していながら又助の偽叛逆にドギマギする、庄屋は段切り前で愁嘆の解消に届かずKYな動きに留まる。このあたりが中堅陣の未だ次代の中心には座れないところだろう。それでも、入替後はきっちり遣えていて拍手が自然に起こる程になっていたのは、次代を背負うに足る力は有しているということである(庄屋はダブルキャストで後半が最初から素晴らしい出来であった)。ちなみに、ツケ打ちも人形遣いの仕事だが、その気合の入り方なり段切の柝頭も初日と入替後とは雲泥の差があった。
 もっとも、こう細かく合理性を求められては叶わないという声もあろうが、山城少掾以来の近代合理的心理主義が観客の支持も得て、今日の主流になっているのである。しかし、人形の場合なら様式美というものがあり、例えば又助が「先づひと通り聞いてたべ」と言い、上手に求馬下手に庄司が刀を構えて極まるところなど、明らかに「勘平腹切」の型であるが、後者がまだ勘平の誤認と知れていないから当然の構えであるのに対して、前者はすでに庄司が見抜いているのだから、構えるのは理屈に反する。それを詮索しないのは、様式美なり節付なりを楽しむのが人形浄瑠璃であるからで、実際三業一体の名舞台を目の当たりにすれば、感動がそのような理屈は吹っ飛ばすからでもある。とはいえ、その感動に至るには入念に練り上げられた芸力が必要なのであって、このことと、前述の近代合理的心理主義との摺り合わせが、現代文楽の抱える大きな問題でもあるのだ。

「草履打」
 岩藤は詞で進行し、尾上は地・色でも心情を語られる。岩藤は尾上を激情させようと嫌味を言い、尾上は岩藤の悪事に気付いているから堪忍して脇へそらそうとする。二人の性根を表現するため、前者は居丈高で意地悪く、後者は美しく賢く気高い。が、そこに封建時代の身分制度と貨幣経済の浸透によって実際面ではそれが崩れているという事情が加味される。もちろん、八汐首が理不尽にイジメて観客には尾上への同情が残るというたけでもいいのだが、草履打ちは尾上が自害を決意するほどの屈辱的行為であることを納得させなければならない。それを欠くと、岩藤の出る「廊下」と仇討ちの「奥庭」は面白いが、肝心の「長局」それも尾上一人となっての述懐部分が辛抱できなくなる。今回、初日は明らかにその弊に陥っていたが、入替後はまず岩藤が太夫(松香)人形(玉也)ともにまったく隙がなく、尾上(呂勢)も美しくそして悲しいところに無念さが加わって完成した。ただ、人形(和生)については、例えば玉男が遣って見せたように、ああ尾上は自害するなあという決意は感じられなかった。なお、善六もよく健闘していた。三味線の清治師は初日から素晴らしかったが、とりわけ「数多の女中が立ち寄って」から、段切の情緒が得も言われぬ絶妙な哀切を響かせていた。

「廊下」
 英と団七で今回も円熟味というか隠居芸のようにも聞こえるのは、切場を与えられることが少ないからか。もったいないが、それでよいと達観している床にも聞こえる。ともかく、岩藤の描出が見事というのに尽きる(もちろん弾正や初、女中も)。今回感心したのは、岩藤の詞「詮方尽きて人柄くづし」のところで、同じ八汐首でも「先代萩」の素性卑しい銀兵衛女房の八汐とは違うという、「草履打」での性根がここへきて明確にストンと胸に落ちた。加えて、この一段での岩藤は八汐と異なりその性格に観客が興味を覚えるようにもしてある。しかし、この一段がかくも成功すると、眼目の「長局」が実にやりにくくなる。岩藤の極悪非道が、「廊下」一段で一層観客に植え付けられるのではなく、むしろ「草履打」での憎悪も緩解するように作られているからだ。しかも、「長局」は尾上単独の述懐部分を除けば、動きもありテンポもよいから、そこが退屈でも何とか済んでしまう。それが逆に、この一段が一定頻繁に上演される理由でもあるのだけれど。もちろん、ここまで見事に運んできたのだから、「長局」(「奥庭」はその出来如何で決まる)が素晴らしいものであれば、今回の第一部は大成功と絶賛されることになろう。他の人形陣、弾正は二部の大膳ほどの男ではないし、腰元も前受けを狙わず自然。初は初日と入替後で印象が異なって見えたが、それはここに至るまでの感じ方が両日で異なっていたからかもしれない。一応記しておくと、初日は主人尾上が心配で一睡もしていないという出、入替後は気掛かりで気が急いてそわそわしている感が主であった。

「長局」
 千歳は毎回マクラから、さすがは将来を嘱望されていただけのことはあると、確かな手応えをもって聞くのだが、奥に行くに従って感心しない結果に終わる。とくに、切場の後半が語り場となると、大きく強くというよりも荒く乱暴という印象である。初日はやはりそうだった。掛合は緊張感もあり主人思いの衷情も伝わったが、床に再登場してからが危惧した通りとなった。もちろん、初は半狂乱ではあるのだが、男声になったり感情をぶちまけるのはよろしくない。初は尾上がこのようになることを察していたが故に、心肝を砕いた。にもかかわらず、現実になってしまった。その悲痛さと無念と後悔そして岩藤への憎悪は凝固して、初を復仇の烈女へと変えるのである。その「凝り固まりし」がなければ、この一段は感情を爆発させて終わるだけになってしまうのである。入替後、今度は前半を聞いて困った。初が終始心中泣いてばかりで、しかも語りが強弱の幅が極端ないつものpf(ピアノ・フォルテ)である。ところが、後半再登場してみると初日に比して溜が効き、「聞こえませぬ」で手が鳴ったのも自然と納得した。もちろん聞き終わった印象としては、入替後の方が良かったのだが、次代の切語りを考えた時、今回もやはり複雑な思いを抱かずにはおられなかった。
 綱師と藤蔵は前半の初との掛合が素晴らしく、悟られぬよう沈まぬようとの思いが内向きのベクトルとともによく伝わってきた。人形の和生も好演。勘十郎の初は説得力のあるもので、簑助師のように際立つ鮮やさというものはないが、それがこの人の女を遣う時の特徴かもしれない。

「奥庭」
 掛合。前段の床からしても今回はそうせざるを得まい。岩藤の三輪はシンだけのことはあり、初の芳穂は抜擢健闘だが平板なところあり、南都の庄司と津国の忍びは相応であった。清志郎は跡としてよくまとめ上げた。カサヤのメリヤスでの立ち回り、やはり何度見聞きしても面白いところである。
 
 

第二部

『祇園祭礼信仰記』
「金閣寺」
 四段目だとマクラからわかる。「碁立て」と段書きされると、後半東吉とのテンポ良い掛合が頭に残るが、今回呂勢と清介は四段目切場金襖物としての金閣寺であった。初日は大膳がまだ届かないという印象を持ったが、入替後は幅も大きさも出ていた。雪姫は初日から艶やかかつ美しい悲しみに満ち、哀と華が見事に同居していた。三味線がまた、チン一撥から雰囲気が変わるなど、手腕を聞かせた。これでこそ「極楽責め」である。碁立ても勢いがあったが、人形の東吉が整いすぎていて齟齬が感じられた。久吉と顕してからは和生のそれでよいと思うが、奉公のお目見えしかも小男と卑下するも晏子に比されている東吉には、才気煥発山椒は小粒での造形が似つかわしい。ここは公演記録映画会の玉昇を超える遣い方を未だ見るに至っていない。鬼藤太が終始うつむき加減であったが、陀羅助首でもあり小悪党なのだから、あれでは思慮深い源太などどう遣うつもりなのだろう。全体として床が手摺のために損をした感がある。

「爪先鼠」
 初日と入替後で変わりはなかった。安定していると言ってよいのだろう、三下りの雪姫述懐から寛治師の絶妙な三味線にリードされて聞き応えがあったし、駒太夫風も同断。しかし、そこに全体としてはいつもの津駒で、大膳などとくに苦しかった。こういう語りだと思えばそれで納得はするのだが、大阪六月や東京十二月公演でない以上、これではいけないと思うがどうだろう。
 人形の雪姫、初役とは思われなかった。美しさも型くずれしていなかったし、清十郎にしては色気も出ていた。妹姫でもあるし、これに可愛らしさと動きが加わればさらによくなろう。大膳は玉女で貫禄も出てきたし遣い方に余裕もあり、色悪とまでは行かないが十分見られるものであった。軍平は鬼若首相応。
 跡は初日を聞いてあれあれと思ったが、入替後きちんと仕上げてきたのは、相生が若手でも有望株である証拠に違いない(三味線同断)。ちなみに、「夕日に向へば龍の形」で暮れ六ツの鐘から、究竟頂は星月夜に夜桜を加え、黒を背景に白煙の怪しさを舞台上の視覚効果としても是非実現させたい。こう書くと、「弁慶上使」は秋ではないかと言われるだろうが、それは外題が御所桜のこともあり、舞台効果としては今ひとつだから、矛盾を正すばかりが能でもない。適材適所ならぬ適景適場なら、この一段は工夫してみる価値はあるのではと考えたわけである。

『桂川連理柵』
「六角堂」
 ここも初日と入替後で変化がなかった。「大津宿屋」が出ないから、ここで筋を仕込まなければならず、チャリ場並みだから笑いも取らなければならない。それをそつなくこなした文字久と喜一朗の実力は確かなものである。とはいえ、長吉に典型的なクドキの節付がチャリがかって付けられているところで楽しませるのが、この立端場最大のポイントのはずだろう。人形陣は黒衣でもあるし、わきまえたチャリでよかった。絹が最後長吉を抓るが、その意味が観客に伝われば、今回の建て方における責任を果たせたと言えるだろう。つまり、切場「その『長様』がきつい間違ひ」の真逆を行っているのである。はたして、太夫は自覚していたかどうか。

「帯屋」
 本当に安定した芸とは、この切場の如きを言う。もちろん、ライヴならではの一期一会はあるが、初日と入替後で変わりないという意味の真実は、こうでなければならない。嶋大夫富助で堪能した。それでも何か言おうとするならば、繁斎(玉也)は「宵庚申」の伊右衛門とは異なり、婆(勘寿)もまたそうだということ。そして、女房絹の迫り方が胸を打ったということである。これは、今回の建て方すなわち「大津宿屋」抜きで「六角堂」からというのを、よく理解していたということにもなるが、第一人者の恐るべきところである。チャリ場が冴えたのは無論で、儀兵衛(紋寿)と長吉(文司)は記憶にとどめておきたいほどのものであった。
 恐ろしいと言えば、盆が回っての住師錦糸はまたその上を行き、それが後からじわじわわかってくるということである。繁斎の表現が無類なのは今更言うまでもないが、今回は女二人(絹と半)の描出が胸に応えた。絹は貞淑で慎みある商家の嫁として地味で控え目な存在であるが、そこに繁太夫節(例えば「河庄」小春のクドキ)が付けてあることの意味、すなわち「私も女子の端ぢやもの」から始まる表現がこれ以上ないもの。これを書いている今もしみじみと耳に残る。そして、半はまた幼いが覚悟を決めた純情の結晶のようなものが痛々しくも美しく、これより他には表現のしようがないと思わせた。これはまた、文雀師と簑助師というとんでもない人形の描出があったからでもある。ほとほと堪能するとは舞台がはねてからのこと、その場ではただただ芝居の中へ吸い込まれ、かつそれを対象として見て聞く自分が存在し、人形浄瑠璃文楽鑑賞の真の姿、極致がそこに現出した。
 勘十郎の長右衛門について。俯きそして顔を背ける遣い方は真実そのもの。それがただ動かないでいるのとはまるで異なるのは、前半では儀兵衛に後半では半に応対する所作の見事な的確さで理解される。世話物の立役はもはや一時代を築き上げた感があると言ってよい。その中で、今回気になる遣い方があった。一つは前半絹が母に衷情をぶつけるところで、よせよせと手を振る所作があまりに軽々しく感じられた。絹の切羽詰まって吹き出した夫を思えばこその抗議に対して、その所作は場違いではないのか。もう一つは後半の述懐で掛蒲団の端を噛んで涙ぐむところで、これはあまりに女々しくはないか。しかし、考えてみると長右衛門とはいかなる性根の人形であるか。検非違使首で立場としても「宵庚申」の半兵衛に似ているが、決定的に異なるのは、元武士の出の物堅い半兵衛に比して、生来というしかない女に弱い長右衛門なのである。女房絹への弁明で「触るが煩悩」と語ったところ、客席の中年女性が「そんなアホな」と言い、男性は笑っていたが、そのところこそ長右衛門の性根であり、この一段の悲劇の本質なのである。芸子岸野との心中未遂は、最後は桂川へ身投げという信じられない事態を納得させるために用意されたものだが、そこにはやはり、「詰まらぬ事で」という長右衛門の弱さが巧みに仕込まれていると言ってよいだろう。狂言綺語作者の鋭い目が光っているのだ。こう考えると、先に述べた軽薄で情けない所作こそ長右衛門そのものであったということも出来るのだ。なるほど、勘十郎の人形は見るたびに考えさせられるところがあるし、公演中も最初と入替後とで工夫の差がある。こうなると、公演は一度見聞きすればよいかなと思うことがたびたびでも、やはりそのたびにハッとさせられて、次公演も必ず複数回劇場の椅子に座ろうと思うのである。逆に言えば、公演前半でああもういいやと思い、後半にやっぱり来ても同じだったと感じた時、次からは一度きりの大阪行となるであろう。

「道行」
 節付もよく、咲甫と睦、宗助に団吾以下できっちり聞かせる。長右衛門は前段から引き続いて半の身投げを止めようとするが、半が自分を受け入れたクドキの前に、すべては因果と諦める。ここはやはり半のクドキが主眼であり、簑助師の人形に尽きる。