人形浄瑠璃文楽 平成二十六年十一月公演(初日・15日所見)  

第一部

『双蝶々曲輪日記』
「堀江相撲場」
外題名『曲輪日記』については、五段構成の初段に該当する場が絶えて上演されていないから、それを通して復活させなければ何のことか判然としないが、「引窓」の端場で嫁姑の会話から補足理解するより他はない。もっとも、これを復活させるのなら『木下蔭狭間合戦』の「壬生村」と「竹中砦」を舞台に掛ける方が真っ先に実現すべき課題であろう。ということで、『双蝶々』の長五郎と長吉の達引から入ることになる。相撲場の雰囲気、幟の揚がる様子が文楽劇場とも共通して見えるのは、「芝居は南、米市は北、相撲と能の常舞台、堀江堀江と国々へ」と『関取千両幟』の詞章からもうかがわれるとおり、大坂庶民にとっての一大娯楽として位置付けられていたからでもある。とはいえ、その大坂相撲も今はなく、文楽も冷淡に扱われているからには、いずれ首都東京一極集中へ収まってしまうのかも知れない。しかしながら、地方がバカだから一極集中せざるを得ないという暴言が、説得力をもって聞こえてしまうというのがまた何とも言えないところである。幟についてはもう一つ、その文字が、いかにも筆を普段持ったことがなくそれらしく真似ただけになっているのも、伝統文化の抱える困難さの一例であろう。こういうものも、数少ない専門家に依頼しなければならなくなるのだろう。茶店の軒にひらめく「御休み處」の文字がそれらしいのは、印刷したものであるからか。第二部に登場する白旗上の血文字といい、あたりまえの肥沃な土壌が痩せ細っていくことの実際を、目の当たりに見た気がした。となると、当然そこに生育する作物がどのようになるのかは、想像に難くあるまい。
濡髪長五郎は年齢二十五くらいである。現在の感覚で言えば十歳足してというところだが、それでも老けてはいないし分別により落ち着き払っているわけでもない。しかし、対する放駒長吉が四股名通りの若さを前回させた鬼若のカシラであるから、相対的比較を出そうとすると前述のように聞こえ見えてしまう。長吉と比較される「米屋」「難波裏難波裏」はそれでよいとしても、最後の「引窓」で矛盾を露呈することになる。要するに難物なのである。その点長吉は明確で、青々として真っ直ぐな勢いを示せれば性根が反映されるのである。もちろん、これだけでも映るか映らないかは三業の技量によるもので、芳穂と幸助は、一本気からの怒りに最後の癇癪まで、的確かつ面白く相応の大きさもあって、見事に描けたと評価して良い。それに比すると、やはり長五郎は落ち着き過ぎと映るわけだが、家来筋ゆえにやむを得ず若旦那の頼みを聞かざるを得なくなり勝ちを譲ったという、言いにくそうな実感は日を重ねて描出されるようになった。最後は手綱の切れた若駒をあしらいかねるというところが、もう一つ応えればと感じたものの、松香と玉也をおいて他はないことを考えると、相応との評価をすべきであろう。三味線の団吾も双蝶々の弾き分けなど堅実なものであった。

「大宝寺町米屋」
  口、長吉と悪仲間の二人を活き活きと描ければまず及第点である。希も靖も出来ていた。加えて、姉のお関を「男勝り」で弟思いに描くのだが、ここはまた女形で対照させると、声は高く細く柔弱にならざるを得ないから、難物となる。実際に希はそこに嵌まってしまっていたが、靖の方は意見の件で強さを出せていた。また、弟のために姉が手ずから父親譲りの椀で膳を据えるところの抒情味あふれる節付けを、三味線の清丈とともに描出できたのはすばらしかった。なお、「姉者人も気の毒がつてぢや」「姉貴に留守を預かつたりや表が済まぬ」を、単純な一本気に語らず姉を持つ弟特有の思いやりをにじませられれば、秀逸と更なる評価が得られよう。
  奥、寛治師に津駒。初日は、確かにするすると話の展開について行けたし、この床は決して睡魔が襲ったりせず、作為的な浄瑠璃の流れにいらつくということもなく、長ったらしく感じることもないのだが、さすがに拍子抜けの感があった。しかし、二週間経過して再び客席に着いてみると、長五郎長吉の達引が三味線の面白さを土台にして活き活きと語られ、石童丸を引き合いに出しての姉お関の親身の意見が身にしみて、これなら長吉が以後を慎む決意をするのももっともだと思われた。ただし、途中長五郎の述懐は、それでも今一歩で、これが出来れば「引窓」の端場がより活きて来ようものをと、惜しい思いをしたのも事実であった。

「難波裏難波裏」
  掛合要員と言うと値踏みした言い方になるが、今回は良い意味でこの太夫にこの三味線は実に面白く楽しませてくれたと、掛合組と一括して賛辞を呈したい。「横切りに」行く郷左衛門と「一文字」に長五郎、詞章の巧みな対比表現を、始と津国が相応以上に手応えを感じさせて語る。郷左衛門と有右衛門の同病相憐れむが二度繰り返される場面は、下手をするとクスリともしないのだが、今回は文字栄と組んで活写できた。与五郎の無念は咲寿が描出するがもう一つ詞から切迫感がほしい。吾妻は南都で思いを吐露し泣き叫ぶ姿は納得のいくもの。長吉の小住は地がよいので平板に陥るぎりぎりで回避し若さを出す。それを喜一朗がまとめ、なかなか手強くもあり変化もある三味線を聞かせた。休憩を挟んで「橋本」「引窓」の大場を控えた、前半を締め括る一段として上出来であったといえよう。

「橋本」
  嶋大夫錦糸。九月東京は未聴のため今回が初である。初日、聞き終わってしっくり来ず疲労感が残ったから、自身の体調のせいもあろうかと、二度目の客席で耳を傾けたところ、やはりこの床は現今至高の浄瑠璃だということを認識した。甚兵衛の「お豊」が、本人ならずとも観客もハッとする、それは甚兵衛自身が心を決めて娘へ辛い説得をするという、切っ先の詞が胸を刺すからである。身の上話から進んで、与五郎骨抜きと親同士意地の張り合いの件は真情が迫り、ここでの涙は四文に値すると確信させられた。こうなると思い切れまでは一直線に伝わる。続いて吾妻のクドキとなるが、「現在親に駕籠舁かせ」で人口に膾炙しているとおり、聞き所であり楽しみでもある。もちろん、吾妻の衷心衷情は伝わらなければならないが、この浄瑠璃のクドキに身を任せる至福を味わえないようでは、自宅で浄瑠璃本を読みながら吾妻の真情を忖度している方がマシということになってしまう。定番の節付けにノルところはノッてこそのクドキである。そこに情が乗っかると、「どうまあ義理が立つものぞ」と切迫して「粋な育ちも涙には訳も隔てもなかりけり」と落とすまで、観客の心を惹き付けて離さないものとなるのである。初日も決して悪くはなかったが、そこに統合よりも分離を感じ、二週間後にその真髄へ到達したと聞いた。「橋本」はこの眼目が見事奏演されれば段切りまで満足のうちに聞き終わる。ゆえに、至高の床と称したのである。もちろん、治部右衛門と与次兵衛の年寄りもよく映っていた。ただし、前半部分については、その上の可能性がまだ残されているのではないか。お照については、マクラの「さのみ床にはつかねどもつれなき床も懐しき」で、床につかなくてよい病なら喜ぶべきところが、夫与五郎と床につかないがゆえに、床につくことを懐かしむという、.その女体の髄から滲み出る真情を伝えきれればさぞやと思うし(それは三行半を書いての「言ふもおろおろ」の効き方にまで及ぶ)、与五郎についても、「橙にてや直るらん」「若気の苦なし」という兎に角若いのと、「口へらぬ面白病」に「うっぽんぽん」の様を眼前活写してこそ、「太夫どうせう、どうやら言ふのであつたのう」と浪花のぼんぼん丸出しの造型に、それを見聞きする者は苦笑もし呆れかえりもするのである。そしてその対照として吾妻の女ぶりの良さとわきまえた大人しさを実感することにもなる。これらが印象的であったのは故津大夫(三味線吉兵衛)のものであった。この床は正月公演「封印切」である。太夫は越路師の後幾度か勤めているが、三味線がどう弾くか大いに楽しみである。

「八幡里引窓」
  中、文字久に清友。まず三味線に在郷の雰囲気がよく出る。続く嫁姑の会話は浮沈はあれど基本的には慎ましやかな中にも晴れ晴れとした気分が主流なのは、明日の満月を待つ心持ちとうまく通い合うからである。そこへ逃亡途中の長五郎が姿を現し、二人はさらに明るくなるがその分長五郎の抱く闇は深まる。そして別称「欠椀」の詞章から早くも切場へと盆が回るのである。端場の役割が切場に向けての仕込みという点では、文字久に不足はないが、上記の各点については、前回勤めたときよりも出来てはいるが、例えば越路師に対するに小松レベルの端場には至っていない。
  切、咲大夫燕三が勤めるということは、西風・政太夫風をきっちり語るのだろうと想像がつく。この「風」に関しては、補完計画で詳述したこともあり、ここでは繰り返さない。初日はとりわけ、見事にこの「風」を聞かせてくれた。三味線についても、右手の利きは言うまでもなく左による余韻の響かせ方消し方が、曲の進行を実にすばらしくの一般にはあっさりと物足りなく聞こえるかも知れない。しかしそれは、幼少より義太夫節を聞き分け鋭く素直な耳を持っていた鴻池幸武も指摘しているように、音楽的旋律で曲を進行させるため露骨な劇的表現が制限されていることによる。そう考えると、義太夫節が泣かせるためのものというのがいかに皮相的な物言いであるかが浮き彫りになる。かつてビートルズ世代が、ジョージ・ハリスンの曲を「泣き節」と呼んだことと通底しているのかもしれない。まさか、「My Guitar」が「Gently Weeps」するからでもあるまいが、義太夫節は「情」だと言うのもそれと同様の安直さを持っていよう。ただし、文楽は「情」だというのはまた別の意味を持つから問題ないのだが。加えて、冗長さも気になるところである。『素人講釈』にはしばしば「語り捨てる」という言葉が出てくるが、SPレコード時代はもちろん、昭和五十年代に入った頃までの公演記録を視聴すると、その意味がなるほどと腑に落ちる。ところが、近年は丁寧に語るということの誤解からと、ストーリー性ならびに心情描出に拘泥するあまり、義太夫節浄瑠璃の流れを失っているものが多い。現今の語りで通し狂言をそれこそ早朝からぶっ通しでやったなら、飽き飽きと倦むことは確実であろう。これが、みどり建てによる弊害の一端であることもまた明白であろう。

 人形陣の総括に移る。長五郎の玉也は落ち着きもあり堂々としているが、思いが沈潜するところは未だしである。全段を通して、この長五郎は主役のようでいて実質は難波裏が唯一のそれであるようにも感じられる難しい役所だと思われる。ただし、今回とりわけそう見えたのは、床との関連であるかもしれない。対するに長吉の幸助は、鬼若カシラの性根にぴったりで、若気の至りが如実に描写されるところは鮮やかであった。加えて、姉思いや悪友に対する振る舞いそして難波裏での取り収めなど、成長した姿もきっちり垣間見せたのは、称賛に値する。その姉を遣った勘弥に欠点はないが、弟を騙すということの愛情の裏を感じさせるには、今一歩押しの強さも出せればと惜しまれる。悪友二人は亀次と簑紫カだが、前者の年功を使う道が他にありそうなものである。ここ難波裏での吾妻の清十郎と与五郎の文司はさすがに格が違うが、橋本で見ると、吾妻には「粋な育ちも涙には訳も隔てもなかりけり」の「粋な育ち」に相当するところがより明確に感じられればと思われた。その点、簑助師のおはやには「新町で都と言ふた時」が雰囲気として纏われているから、名人芸とは恐ろしいものだと改めて実施した。それはまた文雀師の袖萩が、下手枝折戸の外かつしゃがんだままという限られた中で、寒冷と悲哀を満場に伝えるのと同じである。さて、与五郎には「うつぽんぽん」振りが不足、これが遣えれば近松世話物の優男が回ってくるだろう。お照の一暢は何とも動きようがないとはいえ、三行半の口と心は裏表「言ふもおろおろ」はハッとさせてもらいたかった。さすれば、天晴れの子なり孫なりと賞したであろう。三人年寄り、甚兵衛の勘十郎は下手から出た直後から詳細に遣い、慈愛と悲哀もその動きから描出される。ただ、武氏カシラに漂うはずの最底辺の雰囲気は意図的かは知らぬが消されていた。これには、床との関係もあるだろう。治部右衛門の武士気質は玉女が、与次兵衛の町人様は勘寿がそれぞれにカシラの性根そのままによく遣った。一方、引窓では紋寿が、詞章にもある通りのよくしゃべりよく動く中に情感の出る婆を見事に遣って見せ、忠六の婆もさぞやと感じられた。主役の十次兵衛は和生だが、武士と町人の変化はもちろんのこと、義理の母と嫁諸共に長五郎を匿い手柄を折ることの結果として、人相書きを売った後のたたずまい、詞章には何もないが、その心情がよく伝わって、結果的に与五郎が自首し母も縄を掛けるという、段切への方向性を示したことは、絶賛に値しよう。

第二部

『奥州安達原』
「朱雀堤」
マクラで袖萩の境遇が見事に凝縮されている。現在の零落には色恋が絡んでいるという点がとりわけ重要で、さればこそ、別離時の夫の文を懐に抱き続けているのである。盲目襤褸の乞食でありながら、心は穢れも折れもしてはいない。再会の幸福を信じ待ち続けるからこそ、非人共との「いま・ここ」を生きるのであり、それは文字通り「是非なけれ」なのである。咲甫清志郎は次次代の中心となるコンビだが、こういうことを書く気にさせる床であるところに、本物の実力を感じ取ることができる。また、初日よりも二週間後の方がよりよいということも、このレベルとしてはあるべき姿である。実際に即して言うと、非人連中と瓜割四郎は性根をふまえてうまく語り面白く聞けたし(もちろん、かつての師匠の如く自然に映るとまでは行かないが)、八重幡姫と恋絹そして生駒之助もきっちり語り分け弾き分けた。その中にあって、{仗直方にいかにも作られた感を持った上に映りもよくないという至らなさを聞いたが、二週間後には自分なりのものにして不自然さを免れていたのは稽古と工夫の賜物であり殊勝であった。併せて袖萩の「襤褸の上の裲襠は破れても昔床しげに」で、宮の傅役たる老武士の長女としての姿を甦らせたところは、この後の切場への重要な橋渡しとなった。窶すのはその底に高貴がなければならないが、零落もまたその中に盛時の面影が見え隠れすることが絶対条件である。また、事態の急転から三重への追い込みもよく、義太夫節の構造をよく理解している現れであった。この一段、掛合でないのは久しぶりだが、咲甫と清志郎は見事にこの記念すべき床を勤め果せたと言えるだろう。単に切場二段の仕込みにとどまらない、立端場らしい出来であった。

「環の宮明御殿」
  中、マクラからただ事ではなく難しい。宮不明の詮議という事態、これが舘の一大事と大騒ぎに進行していけば単純だが、空き御殿の雪景色に老夫婦という、すべてを胸中に収めた上で、枯れ残った中にもじんわりと温かみがある中で処理しなければならない。その意味では「砧拍子」よりも厄介で、とても中堅ましてや若手に勤まるところではない。睦と清馗は若手筆頭に位置するがさすがに無理。とはいえ、老夫婦を変に拵えなかったことは評価出来る。しかし映らないのはどうしようもなく、「口は憎体身を背け物事包まぬ夫婦中涙一つは隠し合」この作者渾身の詞章と節付は、公演記録の小松叶太郎を客席で脳内再生して響かせるよりほかはなかったのである。敷妙の登場からは普通に聞けたが、義家登場での、鬼一源太老女形婆と連続変化する足取りと間には、やはり物足りなさを感じた。この床は誠実真面目で売り込みなく懸命なところに好感が持てるのだが、語りに不安なところがあって今後中堅としてどういうところへ個性を落着させるのか、気掛かりではある。
  次、切場前、しかも前場からは年寄りと女形が裏へ回り趣が一変する。動きもあって面白いところである。床にとっては儲かる場でもある。文字久というのは納得がいくし、何より三味線が藤蔵というところに期待が高まる。現に、「権威の下部は蝿虫と見下し」の大きさは見事なものであった。公演後半には、南兵衛としての偽りの弱さや義家の爽やかさも伝わり、実力相応の場となった。いずれ時代物三段目切場を語るようになるからには、聞き終わってああ面白かったと(もちろん肝心の「情」は師匠譲りとして)、義太夫節浄瑠璃の楽しみを堪能させてもらいたいものである。そのためにも、文字久に藤蔵は欠かせないのである。
  前、越路大夫を弾いてきた清治師が呂勢の女房役に賭けているというのは、プログラムの記事を見れば一目瞭然である。そして、現今においては呂勢しかいないということもまた事実である。マクラ一枚から神経が行き届き、寒空に最期の刻も傾く陽射しと共に迫り、そこへ袖萩の登場を知らせる。盲目であることも耳を澄ませば三味線が導いてくれ、さあ祭文だともカワリから明瞭、等々。今回も、このコンビによる初受賞「柳」同様、清治師の三味線がいかに素晴らしいかを、堪能することが出来た。もちろん、太夫の敢闘も光るが、「白梅」(しら「う」め)ではなく「しらんめ」であるし、「親は子を杖子は親を、走らんとすれど」は「親は子を杖子は親を柱(はしら)走らんとすれど」と掛詞に配慮もしてもらいたい。祭文は美しいが薄幸さが欲しく、続く詞は懸命さが切実に出来たものの、一度目のお君で涙り堤を崩壊させ、二度目で堰を切らせて欲しかった。思うに、越路太夫との差は(老夫婦が映るか否かは現状ではハンディゆえ措くとして)痛切さの実感であろう。あの超絶美声(超一流の名人は最初は誰しも声屋である。なぜならば完璧な音遣いによって節付の妙味を上から下まで届かせるからである)の二代目越路が摂津大掾とまで登り詰めたのも、例えば「中将姫雪責」の工夫など、天賦の語り手なればこそ自らを苦しめ追い込んだからこそなのである。いや、それよりも何よりも、清治師の三味線を毎公演切場で聞けるようにする責任が呂勢にはあるはずだから、その決定的な差は早く解消してもらいたい。
  後、千歳が富助に弾いてもらう。時代物というのは、歴史的事象を題材として取り上げているものを言うのではもはやない。現代からすれば、世話物も江戸時代という歴史における庶民的事情を描いたものだからである。つまり、「いま・ここ」という小宇宙において完結するか、その小宇宙の歯車が実は大宇宙という時空的に拡がる巨大な歯車と絡み合っていることを厳然と提示するかという違いにおいて、世話物と時代物は存在するのである(もちろん、世話物においても跡目相続や家宝紛失などを背景にしてるものはあるが、それが主題として表に出てくることはない)。そういう意味では、地球を滅亡から救うため家族や友人・恋人との情愛を振り切り自己犠牲の精神を発揮する聖林映画とも通底するのだが、前者が封建的として唾棄され後者が感動的として称揚される(国威発揚も真っ黒に対して真っ白と正反対の価値付けが無意識になされている)ところに、この国における愚かな現状が垣間見えるのである。もっとも、それこそがこの国を貶めたい勢力の思う壺に嵌まっている証左でもあろうが。したがって、段切前で貞任宗任兄弟が見顕すところ、そして一音上がっての装飾的な詞章を以て華麗に節付けされた、象徴的比喩的表現の描出が、最重要となるのである。ここを、形式的とか皮相的として等閑視するのは、小学校で生活綴り方を叩き込まれた小雀がそれを正統的姿として踊り続ける様に他なるまい。あるいは、アメリカ式ホームドラマで見せつけられた豊かな消費生活を絶対的善として植え付けられ寄生された宿主の痩せ細り枯れるしかない立ち姿であろう。少なくとも、時代物義太夫節浄瑠璃を聞く耳を持っていないことは確かである。その点、今回初日に聞いたこの床は、「着する冠装束も故郷へ帰る袖袂雁の翅の雲の上」の奏演から、武智鉄二が処女評論に「かりの翅」と名付けたのは尤もであると感じさせたほどの出来であった(その武智も、生来の聴耳頭巾を備えた鴻池幸武と出会わなければ、詞章と節付を分離してしか捉えられない一評論家―肩書きを持たない分一学者にも劣る―にとどまったことであろうけれども)。一にも二にも三味線の力量による導きの賜物である。ただ、二週間後は太夫が例によって例の如しで、詞章が聞こえぬほど苦しくなっていたのは、義太夫節が語り物であるからこそ認められないものであった(ただし、わかりやすいとか聞き取りやすいとは全く別物であるから、混同しないよう注意が必要である。現況の誤解にあっては、SPレコード時代のものはすべて否定されるであろう)。正月公演は「駒木山」である。麓太夫風を語る以上は、上から下まで十全に大きく豊かでなければならない。期待したいが、もしこれも従前通りの結末となるのなら、もはや時代物はニンではないと評定を下さなければならないであろう。

「道行千里の岩田帯」
  一部と二部の入替が半時間しかなく、ここまでで朝から通しの感があるので、さあ道行でお色直しの大団円までという気にならないと正直しんどい。しかし、この道行は初段が出ないと意味不明(「朱雀堤」で下ごしらえはしてあると言っても、素材がどうなっているのかわからない料理を供されている感じ)で、かつ西亭の節付けも詞章に比して苦心の跡が見え、王道の道行とはいかない。ともかく、奥州は遠いと言うことと恋絹が廓者であることはよく伝わったから、三輪団七以下には役割をよく果たしたと労いたい。

「一つ家」
  中、端場とはいえ半時間弱もあり為所のある場である。また、埴生の宿でも四段目であることが、冒頭三重の三味線から明瞭である。咲甫と宗助はそういうところもしっかりと捕まえていて、単に老女の怪異を強調するような行き方はしない。とはいえ、莫耶カシラにしてはさすがに不足と感じられるところはあった。
  奥、凄惨ではあるが、安達ヶ原の黒塚伝説をふまえた人形芝居ゆえに上演も可能となる。また、後半で時代物四段目金襖の場に一転するから、そこまでの仕込みとしても納得させられることになる。英と清介はそういう構造を知り抜いて勤めるから、それぞれの登場人物が自らの仕事をするように語り弾き、卑俗に陥らないのがすばらしい。とりわけ、登場人物全員が装束を改めてからの悠々然とした大きさが印象に残った。もちろん、莫耶カシラの恐ろしさはよくわきまえられていた。

「谷底」
  文字通りの跡である。しかし、敗戦処理ではなく勝ち試合を決めに行くセーブ役であることを蔑ろにすると、観客は気分良く劇場を後に出来ないのである。靖・龍爾は時代物の大団円に相応しい力強さと大きさがあり、希・寛太郎は奥の床の後としてピタリの自然かつ鷹揚な奏演で、ともに好感が持てた。もちろん、一観客として上機嫌で追い出されたのである。

  人形陣。貞任の玉女、以前は故師譲りの不動とはいえただ動かざるのみの感があったが、ここのところ正統的立役として立派に二代玉男を襲名できるところまでに至った。勘十郎とは良い意味で好対照を成し、ついに両頭体制が確立するかと思うと感慨深い。今回も難物の則氏をよく溜めて遣った。対するに宗任の玉志。ここのところ立役に準ずる役を安定して見せている。誠実な遣い方が実を結ぶ時が来たことは喜ばしい限りである。玉女も心強いであろう。また、玉輝も脇の重要な狂言回しの役を勤めることが多く、ベテランの味も出て来た貴重な人材である。玉佳は今回も軽妙ながら力強さもあり大政が楽しみである。続いて老夫婦、玉也は鬼一カシラが良く映るというにはまだ早いであろうし、勘寿も婆が持ち役ではない気がした。もちろん共に納得のいく遣い方である。敷妙の清十郎はやはり吾妻よりもこちらの方がニンである。勘弥に簑二郎も中堅陣として舞台をよく支え、次代への期待がかかる。若手陣は詳述しないが、いずれも現今文楽は人形の時代と呼ばれるに相応しいねりであった。最後に岩手の勘十郎である。いや、黒塚の鬼婆を遣った勘十郎と呼ぶ方が適切か。それほどに、藁屋の御殿となるまでの遣い方は、引目と口開きとで不気味かつ怪異な恐ろしさを見事に表現し、これほどのものはかつてないと言ってもよい。ただし、岩手と顕れてからは、時代物の大宇宙現出にそぐわない遣い方が目立った。まず、用済みである(これを「情」を知らない物言いというのはそれこそ人形浄瑠璃を知らない物言いである。腹を十文字に捌かれたことは御殿の出現以前の別場に属する)恋絹の死骸を再び持ち出したこと。これに比して守り袋で象徴的に悲哀を現出した故玉男師の遣い方は超絶的であった。第二に、「実に貞任宗任を産み落としたる骨柄なり」でまだ「涙はらはら」を引き摺っていたこと。骨柄が母の情愛とは戦後民主主義の賜物でもあるのか。ここでも師が扇の遣い方で骨柄を表したことは驚嘆に値するし心底納得させられた。最後に、「突込む剣を口にくはへ」で剣を刃を外にして横向きにくわえたこと。長形物をくわえるとは、バナナやフランクフルトを持ち出すまでもないことであり、それ以上に、取り無く諸将が両手を合わせて冥福を祈っている通り、この所作で岩手の死が眼前明白になるのは、平家物語での今井四郎兼平を持ち出すまでもなく、刀を垂直に口中へくわえるからに他ならない。この三点を以て、この半通しは小宇宙のまま終了するところであった(それを救ったのは「谷底」がついて追い出してくれたお蔭である)。もっとも、今や大河ドラマも歴史小説もホームドラマ化しているから、現代的いや平に成った時代に相応しいと言えなくもないが、少なくとも、昭和四十年代の公演記録映画会と司馬遼太郎や池波正太郎の世界とは断絶してしまっていることは確かである。降る雨や昭和も遠くなりにけり。
  なお、全体として語り場を踏まえた肩衣や見台がそこここに見られるようになったことと、展示室、文楽の舞台は好企画であったこと、ならびに、柝頭が詞章と節付けにピタリと一致するというこれもかつては当たり前であったことをきっちり実践した者が存在したことを、記録としてここに残しておきたい。